金閣寺は金色なのに、銀閣寺が銀色ではないのは
金閣寺は金色なのに、銀閣寺が銀色ではないのはなぜですか?金閣寺は金色なのに、銀閣寺が銀色ではないのはなぜですか?金閣が創建された頃の文化は「北山文化」と呼ばれ、能楽に代表される新興武家文化が公家文化や唐風文化と融合した「華やかな文化」であったのに対し、銀閣に代表される東山文化は、水墨画などの禅宗様式の影響を色濃く受けた「幽寂さに富む」文化、つまり「侘び寂び」の文化でした。
一説によると「当初は銀箔を貼る予定だったが、予算不足のためあるいは戦乱のため断念した」との説もありましたが、建物としての構造は、金閣が貴族様式の寝殿造りであるのに対して、銀閣は禅宗様式の書院造りであることから、「銀箔を貼る予定だった」との説は否定されつつあります。
おそらく、単に「金閣」という名称に対比してのネーミングに過ぎないのでしょう。
そもそも「金閣寺」という名称は存在せず、鹿苑寺という寺院の金閣という建物に過ぎません。銀閣も「銀閣寺」ではなく慈照寺という寺院の中の銀閣という一つの建物です。
それ自体が寺ではありません。